- MIHOKO Konishi
中国子連れ留学②

(2)いざ中国大陸へ_香港経由
1989年12月23日、羽田空港から香港へ出発した。
天安門事件以降、中国留学のルートも手引きもなく、唯一HISが中国へのビザを取ってくれるということで、HISに中国への渡航チケットやホテルなどの手配を頼んだ。
当時のHISは今のように大きな旅行社ではなく、新宿南口の小さな雑居ビルの暗い1室で営業をしていた、小さな無名の会社だった。
まさかその後この会社がこれほど大きく成長するとは思っても見なかった。
HISの指示はこうだった。
まず中国へ行く日本人は、香港まで飛行機で飛び、指定されたホテルに宿泊、そこで他の日本人旅行者たちと合流し、HIS香港支社でビザの手続きをしてもらい、中国大陸へ国境を超える。
1989年の香港はまだイギリス占領下にあった。
香港空港で乗ったタクシーの運転手は、私たち家族(子供二人を含む家族4人)が日本人だと知るや否や、不愉快そうに、そして軽蔑するような目で見下ろし、つっけんどんな口調で対応して来た。
香港はインターナショナルで、日本人も行きやすいというイメージがあるだろうが、あの時、香港の運転手になぜそうされたのか、当時はその理由がよくわからなかった。
それは、日中戦争の後遺症、つまり反日感情からくるものだった。
後年、上海で日本軍からの酷い仕打ちを受けた体験を持つ人たちからの話を聞き、初めてその感情を知った。これについては後日反日感情というテーマで綴ろうと思う。
さて、HISの指示通り、指定のホテルにチェックインした。
しかし日本人らしき宿泊者は私たち家族しかいない。
数時間がたち、心配になってHISの香港支社に問い合わせると、その日は週末で営業していない、という録音のアナウンス。
慌てて日本のHISに国際電話をかけると、「ビザはすでに取得済み。パスポートにも記載されていますので、翌日列車に乗って深圳に向かい、そこで国境を越えてください。」と言われた。
「何それ!!!日本を出発する前になんで言ってくれなかったの?なんて不親切な!」とHISに憤りを覚えた。
とにかく、ビザはすでに取れていることがわかったので、その日は多少安心してベッドに潜り込んだ。