• Masayoshi Konishi

中国子連れ留学④

(4)驚きいっぱいの上海生活_1



 

上海国際空港では、SS氏(6月に一緒に来る予定だった)の奥さんで、日本に一年間滞在経験のある人が出迎えてくれた。

このあとの上海生活を話す前に、当時の上海空港をお話ししたい。


私たちが降り立ったところは、およそ国際空港とは思えなかった。

地面は辺り一面砂埃、アスファルトも芝生もない、ただただ黄色い世界だった。

そして、空港ビルがちょうど建設中だったようで、空港税関を通過し、入国手続きをし、出迎えを待つ人のところまで、歩くこと10分程度。

空港なのにまるで、日本の田舎の無人駅におり、駅の改札を抜けて待合室にいくのに似ていた。

このアバウトな通過のせいで帰国時に大きなトラブルに出くわすことになったが、その話は後日にしましょう。

さて、ホテル(樱花度假村)で荷物を置いたのち、SS奥さんに真っ先に南京東路のとあるレストラン(高級レストランではなく、高級食堂といった感じ)に連れて行かれ、遅い昼食をとった。

味はまずまずだった。

食事を終え、お金を払うと、ウェイターは、テーブルの上の食器と残り物を、テーブルクロスの中にぐるぐるっ、と丸め込み、それごと抱えて厨房に消えたていくのを見て、私は目を丸くした。

食器はどうなってしまうの?食器は壊れていないの?残飯も一緒に捨てるの?とあれこれ想像してドキドキしてしまった。

余計なお世話だが…。

 


はじめは中国語も上海語も話せず、ほとんどこの奥さんを頼って数日を過ごした。

訪中2日目、この奥さんの身分証明書を使って日本円を人民元(中国人専用貨幣)に換金。

中国では中国人料金と外国人料金に分かれていた時代があり、貨幣も人民幣(人民元)と兌換幣とに分けられていて、外国人は兌換幣にしか換金できなかった。


当時は、1万円が兌換券なら200元ぐらい、人民元なら400元近くと、換金の差額も大きく、SS氏奥さんに一般の人民元に換金してもらうのは、とても助かった(但し公的には違法だが)。

ホテルの支払いもこの奥さんと副支配人が友人ということで人民元でOKしてもらい、その上格安で泊めてもらった。

いかなる時もいかなる場所でも中国社会ではコネが必要であると、このとき身を以て学んだ。

 

 さて食生活だが、初めの数日間はホテルで外食をしていたが、油っぽい料理に慣れていなかった私は、日に日にお腹を壊しどんどん食欲がなくなっていった。

ほとほと困り果て、日本を発つ前に子供の通っていた幼稚園の園長先生に紹介されていた台湾人であり、日本人とご結婚されていた花岡さん(仮名)を訪ねることにし、彼女の一家が住んでいた老錦江飯店(ホテル)へと向かった。

上海の地理もわからず道に迷い小雨が津々と降り続ける中、ようやくホテルへとたどり着いたが、そのころにはもうヘトヘトで泣きたい気分だった。

その時の花岡さん宅で出された日本茶のなんと美味しかったことか。

 

 花岡さんと日本語で話しをすることができ、心は安らいだ。

その上、宿泊しているホテルに上海日本人学校の先生が滞在しているとの情報を得て、その日の夜にも尋ねてみると、日本人学校の校長先生ほか数名の先生家族が滞在していることがわかり、生活に必要な情報を入手でき、中国語の家庭教師の先生も紹介してもらった。



次へ(乞うご期待)

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