- Masayoshi Konishi
中国子連れ留学⑥
(6)留学の目的を開始_1

数日後、私は中国語と本来の目的の中国書法(中国では書道を「書法」と呼ぶ)を学び始めた。
そう、こんなサバイバルなことまでして子連れで中国に渡ったのは、本場の書を学ぶためと中国絵画をリサーチするためだった。
そうして中国語はほとんど毎日劉先生にホテルまで来てもらい、書法は隷書を得意としていた上海の書法家、張森氏に週2回、1回は張森氏宅で丸一日、そしてあと1回はSS氏宅に来てもらい、指導を受けた。
当時の交通手段はバスと自転車が主だったので、自転車を借り、先生のところへ行くのも買い出しに行くのもその自転車で移動した。
ママチャリや子供用自転車などなく、画像のように、日本でも戦後使っていたような大きくて、足を後ろに跳ね上げなければ乗れないといったタイプの男用自転車に、颯爽とまたがり上海を走り回った。
そして中国人のように1時間以上乗り続けるのは当たり前だった。
中国人はほとんどタクシーには乗らず(タクシーそのものがほとんどない)、日本では廃車寸前の日産の乗用車が上海を走っていた。
企業マンや外務省・日本人学校関係の奥さんたちはタクシーを使うか、お抱えの車で移動していたが、私にはそんな余裕はなかったので自転車がもっぱら活躍した。
先生宅へは、この自転車とバスを乗り継いで通った。
また、日本で書道師範として一通りの中国書を学んだつもりでいたが、日本で学んだ書は古代から現代までを網羅してはいない、ということが、上海の先生に付いて初めて知った。
この書の線が書においても中国絵画においても非常に重要であることもその時学んだ。
張先生は隷書を得意としており、甲骨文や、金文、隷書体などを学び、線に対して知識を深めていった。
書画の線、書画の芸術論は別の機会に書き記すが、この線の真意と中国人気質とは非常に密接な関係を持っている。